社会人を振り返って 15

支社長賞の受賞後

私はさらに仕事に力を入れていきました。

 

私が仕事で業績を残せるようになった要因を簡単にまとめます。

 

①指示された事を必ずやる

事業として、求められている事はもちろん。面談などで実行を促された事は全てやる。
できるできないかは問題ではない。

②会議で議事録をとる。

会議の際には次に向けてのアクションを自分のこと、メンバーのこと含めて明確にしておき、

次の会議ではそれを振り返る。

③商談のストックを作る
クライアントにも時期によってニーズの変動があるため、商談の際には現在導入意思があるかないかを明確にする。またいつになれば導入の可能性があるかを明確にする。

④ナレッジの発信
自分が商談で得た知見などをできるだけわかりやすい形にしてアウトプットする。

⑤商談内容の変更

商品の提案からクライアントのビジネス課題に会話をシフト。
それまで商品の話をしていましたが、クライアントがどんな背景で会社を作ったのか、今何に困っているのかにフォーカスした商談をし。その上で自社では解決できない問題であっても積極的に情報提供を行う。

⑥目的をセットにした業務依頼と感謝を伝える

アシスタントさんに対して依頼をする際に雑な依頼をする人が多い中で、その資料がなぜ必要なのかを伝えること。またそれが役に立った際にはセットで伝える事を徹底。

⑦相手の状況を想像した上でのコミュニケーション

クライアントも社内も、相手には相手の都合(立場、役割、好み)があるためそこを理解した上でコミュニケーションを取る。良い提案でも伝える順番を間違えると大変な事になる。

 

この7点程度です。

そして驚く事にこれは今私が仕事上で大切にしている事と大きく差はありません。

仕事の評価とは果たして何によってなされるものなのでしょうか?

もしあなたが経営者として、人を雇う。

仰々しい大会社ではなくて、中華料理屋だと想定してください。

 

あなたがどれだけ美味しいチャーハンを作れるとしても

毎回作るたびに赤字だったら意味がないですよね?

お客さんが待ちきれず帰ってしまったら意味がないですよね?

コストも時間も守り美味しいチャーハンを提供できても

いつも店舗で喧嘩していたら雇いたくはないですよね?

 

当たり前の事を述べましたが、

経営者の方針を実現できる(都合の良いと言っても良いかもしれません)人材に対して良い待遇を用意したいのです。

 

その人に対する報酬も絶対的なものがあるわけではなく

企業の状況に置いて評価は異なります。

スタートアップ企業であれば

老舗企業であれば

変革期の企業であれば

それぞれ求められる人材は異なりますし、状況にマッチした人材に対して高い報酬が支払われます。

雇われる身である限り、その企業の方針や、自分に求められる姿については

できるだけ解像度高く理解し用途努めることが大切です。

 

評価がついてくるようになった時

私はそれまでの倍働いたわけではありません。

それまでも一生懸命働いていたのです。

求められる姿を理解するように示してくれた上長のおかげで私は正しい軌道を歩むことができるようになったのです。

社会人を振り返って 14

<リスタート>

私はこの日からわかりやすく行動を変えました。

前の拠点では甘えもあったのでしょう。

事業から要望されているヒアリング内容なども後回しにしたりすることがありました。

勤怠についてはしっかりしていましたが、やるべき事をやっていない事もありました。「もう全てやるしかない。」そう決意しました。

 

社内で締切があるものは率先して締切を広報。もちろん自分が最初にやる。

営業会議の資料は誰よりも完璧に作り上げる。

申込書のミスなどは絶対にしない、必ず庶務さんにルールを聞くなど、細かなことから行動を改めました。またみんなが下を向く朝会を少しでも盛り上げようと

話す内容を工夫しました(ここはなかなか苦労しました)

営業同行後に上司からタスクを依頼されたら、納期よりも前に完成させその相談をしました。(上司への相談の仕方や話かたもシミュレーションした上で行なっていました)

当時、自分の良い仕事をわかりやすく資料に落として全体に共有するという場があったのですが当時のグループは売上に関係ないとみんな手を抜いていました。

そこに対して 僕はなんとか分かりやすくして全体に広報するということを率先して行なっていました。

愚直といえば愚直すぎる取り組みです。

しかしながら「仕事のできない奴がやってくる」といった評価から

「真面目で頑張るやつだ」といったように周りの評価は変わっていました。

その証拠に、先輩からも何かあると意見を求められるようになっていました。

 

また営業においても「クライアントの売上UPだけを考える」そのように考えを改めた結果、当時なかなか拡販の進んでいなかったWEBの商品の大型受注に成功。

T課長から握手を求められ、非常に嬉しかったことを覚えています。

 

仕事だけでなく宴会も頑張りました

当時流行っていたAKB48を振り付けで全力で踊る。

他の部の方々とも打ち合わせをさせていただき、非常に楽しかったことを覚えております。

 

そんなある日A部長から面談を求められる機会がありました。

部長は各拠点を定期訪問してその際に面談を求められます。

これをずっと拒否していて「主体性がない」と断罪された私はいの一番に手をあげ

面談の依頼をしました。

 

本当に恐ろしいA部長でした。私はこの3ヶ月の取り組みをまとめて何を聞かれても大丈夫なように準備をして緊張しながら待っていました。

しかしながらそこでもらった言葉は思いも寄らない言葉でした。

「頑張っているらしいな。異動してもダメだったら本当に見限ろうかと思ったけど

 周りからの評価を聞くとどうやらお前は頑張ってるらしいな。

 この調子でグループを引っ張っていって欲しい」

あまりの衝撃に涙腺が潤み思わず泣いてしまいました。

厳しい言葉ではあったものの、しっかりと自分の事を見てくれていたんだという事に

涙が止まりませんでした。

 

またこの期間には、当時の戦略商品であったホームページ構築サービスを提案。

専門書を読み漁り

各行政区毎にSEO対策を施し上位表示させるという提案を実施。

またWEB戦略室の設置などを交えた提案が評価され支社長賞をもらう事もできました。

もちろん課長が推してくださった事も大きいのですが

自分の取り組みが評価されて非常に嬉しかったことを覚えています。

 

たった3ヶ月でこれほどまでに評価が変わることがあるのだと

我ながら驚きを隠せませんでした。

社会人を振り返って 13

<転機>

さて新拠点に赴任し引き継ぎも終わりいよいよ自分で動きだすタイミングが訪れました。ここで私は課長のTさんとの面談で目の冷めるような指導を受けます。

 

それまでの面談と言えば、異動前のように

人格否定に基づくものがほとんどでした

「なんでお前は〜できんのや」「そんなん 新人でもできるで」「言ってる意味が全くわからん」「なんでやりきれへんのや」「ほんま面白くないなお前」

 

しかしT課長はそう言った話は一切しませんでした。

「異動後の評価は良いか悪いかしかない」

「お客様の役に立つ営業になれ 各論に圧倒的に詳しくなれ」

「これだけ世の中に情報が溢れてる。それを伝えるだけでお前の価値は上がるぞ」

「これだけネット化を事業で推進している。今更紙媒体を提案しても評価されないぞ」

「お客様が儲かることだけを考えて提案しろ 売れなくて良いから」

それまでの精神論一辺倒のマネジメントから客観的で具体的で納得感のあるアドバイスになりました。

この時言われたことは当たり前の事かもしれません。

しかしながらそれまで私はずっと否定され続けてきました。

先輩からもらう ふわっとしたアドバイスにも真面目に取り組んだつもりです。

でも全く成果は上がりませんでした。

自分に営業なんて向いてないと何度思った事でしょう。

でもこのアドバイスを聞けば、私は何か開けると思いました。

このアドバイスを愚直にやろう!素直にそう思えました。

 

「今から俺はお客様の売上向上だけを考える」

「ネットについては圧倒的に詳しくなる」

「本を読んでどんどん情報収集する」

社会人を振り返って 12

<初日>

 

初日の朝会はなかなかにシビアなものでした。

当時20名くらいいるメンバーが、その日の行動予定、昨日のトピックスを発表

するのですが如何せん雰囲気が悪い。

 

メンバーが情報を発信しているにも関わらず

下を向き、相槌もなければ目を合わせようともしない。

「一体なにが起こってるんだこの組織は」と不安になりました。

私以外にもう1人転勤者がいたので最後に紹介をしてもらいましたが

あまり歓迎ムードはなく奇妙な朝会は終わりました。

 

席に座ってもそんなに話しかけられる訳ではなく

すぐに引き継ぎの打ち合わせ等に入りました。

引き継ぎ程度しか会話もなかったのでそれでもありがたかったことを覚えています。

 

引き継ぎの中で色々話を聞かれました。

私が異動前にいたグループは表彰者が多く、営業部の中でも優秀なグループでした。

そのため、当時業績が芳しくなかったそのグループからはどんな奴が来るのだという

目で見られてようです。

そして同期のYからも引き継ぎがあったのですがその際に

大変なグループの状況を色々と教えてもらいました。

 

過去にメンバーに不正があり課長が降格になったこと。

グループを取り巻く不信感。

異様に厳しい庶務さんに対してみんな顔色を伺っていること。

過去に転勤してきた方があっという間に別事業部に異動となったこと。

 

私はその時正直に思いました。

「やばい所にきてしまった。俺も半年後にはクビか」

 

ただし少し光もありました。

お客様を引き継ぐ際前任者の営業のレベルが高かったことです。

お客様との関係性や、提案内容。

それは以前いたグループにはない新鮮なものでした。

後になると分かるのですが

それ以前よりも定量的な提案が求められるマーケットとなっていました。

 

あっという間に1日が終わりました。

その日に早速歓迎会ということもなく、私は1人ひっそりとホテルに戻りました。

社会人を振り返って 11

<赴任>

私は新たる土地に降り立ちました。

 

その日テレビをつけると丁度スポーツニュースで野茂英雄が特集されていました。

その頃すでに野茂は引退してましたが

野茂がメジャーに調整したのは26歳になる年だと知り驚愕しました。

同じ26歳でも野茂は世界に挑戦。

自分なんて全く売れない営業マンで、入社3年で左遷。

同期は大きなプロジェクトもやってるのに。。。。

そんな悔しい思いを抱きました。

でも僕ができることは一つやるしかない。

既に心は背水の陣を敷いていました。

 

しかし私には一つ希望がありました。

赴任先の課長から「お前には大切なところやってもらうと思ってる」と

連絡をもらっており、多店舗展開をしている会社を担当されてもらうことが決まっていたのです。

それまで小さい会社ばかりだったので売れないと思っていた私には

少し光が見えていた気がしました。

 

明日からは新しい環境だ。

ここから俺は頑張るんだ。

そんな気持ちを思いながらホテルで床に着いたことを覚えています。 

 

社会人を振り返って 10

<初めての異動>

 

「内示の電話です。10月からーーに言ってもらいます。君は環境を変えないとダメだ。
 次行く環境は今見たいに優しくない、Yという同期が頑張ってるから一緒に
 引っ張ってほしい。
 どうだ?この異動を受けてどう思う?」

  

 「前向きです。絶対頑張ります」

  

 「頑張るんじゃなくて結果出せよ。
  もし次いってもダメだったら本気で退職マネジメントするからな」

 

 これが私の初めての内示でした。

 今思うと本当に恐ろしい世界だったと思います笑

 

 私は当時いた営業所から西の中国地方のある都市に異動となりました。

 西に行くのって左遷だよなぁ と思った記憶があります。

 

 わかりやすく落ち込んでいた私に対して

 仲の良いM先輩は飲みに誘ってくれました。

 後日話を聞くと「お前の落ち込みようからすぐわかったよ」と話してくれました。

 本当に一緒に働く人には恵まれたなと思いました。

 

 こんな私ですが、盛大な送別会を開いていただき異動することになりました。

 色々なメッセージをもらったのですが

 「できない子ほど可愛い 本当に可愛かった」みたいなメッセージをもらった時は

 本当に恥ずかしく情けない気持ちでいっぱいでした。

 

 また人に恵まれたエピソードを一つ
 M先輩の同期でT先輩という方がいました。

 なかなか苦労されているようでしたが私の異動に対して携帯メールで

 メッセージを送ってくれました。

 小さな町のバーでM先輩が読み上げてくれた事は本当に嬉しかった事を覚えていま す。

 

 初めての異動で私は新しい場所に旅立つことになりました。

 新幹線で初めて降り立つその土地は、まだよそ行きの顔で僕の前に姿を現しました。