社会人を振り返って 14

<リスタート>

私はこの日からわかりやすく行動を変えました。

前の拠点では甘えもあったのでしょう。

事業から要望されているヒアリング内容なども後回しにしたりすることがありました。

勤怠についてはしっかりしていましたが、やるべき事をやっていない事もありました。「もう全てやるしかない。」そう決意しました。

 

社内で締切があるものは率先して締切を広報。もちろん自分が最初にやる。

営業会議の資料は誰よりも完璧に作り上げる。

申込書のミスなどは絶対にしない、必ず庶務さんにルールを聞くなど、細かなことから行動を改めました。またみんなが下を向く朝会を少しでも盛り上げようと

話す内容を工夫しました(ここはなかなか苦労しました)

営業同行後に上司からタスクを依頼されたら、納期よりも前に完成させその相談をしました。(上司への相談の仕方や話かたもシミュレーションした上で行なっていました)

当時、自分の良い仕事をわかりやすく資料に落として全体に共有するという場があったのですが当時のグループは売上に関係ないとみんな手を抜いていました。

そこに対して 僕はなんとか分かりやすくして全体に広報するということを率先して行なっていました。

愚直といえば愚直すぎる取り組みです。

しかしながら「仕事のできない奴がやってくる」といった評価から

「真面目で頑張るやつだ」といったように周りの評価は変わっていました。

その証拠に、先輩からも何かあると意見を求められるようになっていました。

 

また営業においても「クライアントの売上UPだけを考える」そのように考えを改めた結果、当時なかなか拡販の進んでいなかったWEBの商品の大型受注に成功。

T課長から握手を求められ、非常に嬉しかったことを覚えています。

 

仕事だけでなく宴会も頑張りました

当時流行っていたAKB48を振り付けで全力で踊る。

他の部の方々とも打ち合わせをさせていただき、非常に楽しかったことを覚えております。

 

そんなある日A部長から面談を求められる機会がありました。

部長は各拠点を定期訪問してその際に面談を求められます。

これをずっと拒否していて「主体性がない」と断罪された私はいの一番に手をあげ

面談の依頼をしました。

 

本当に恐ろしいA部長でした。私はこの3ヶ月の取り組みをまとめて何を聞かれても大丈夫なように準備をして緊張しながら待っていました。

しかしながらそこでもらった言葉は思いも寄らない言葉でした。

「頑張っているらしいな。異動してもダメだったら本当に見限ろうかと思ったけど

 周りからの評価を聞くとどうやらお前は頑張ってるらしいな。

 この調子でグループを引っ張っていって欲しい」

あまりの衝撃に涙腺が潤み思わず泣いてしまいました。

厳しい言葉ではあったものの、しっかりと自分の事を見てくれていたんだという事に

涙が止まりませんでした。

 

またこの期間には、当時の戦略商品であったホームページ構築サービスを提案。

専門書を読み漁り

各行政区舞にSEO対策を施し上位表示させるという提案を実施。

またWEB戦略室の設置などを交えた提案が評価され支社長賞をもらう事もできました。

もちろん課長が推してくださった事も大きいのですが

自分の取り組みが評価されて非常に嬉しかったことを覚えています。

 

たった3ヶ月でこれほどまでに評価が変わることがあるのだと

我ながら驚きを隠せませんでした。

社会人を振り返って 13

<転機>

さて新拠点に赴任し引き継ぎも終わりいよいよ自分で動きだすタイミングが訪れました。ここで私は課長のTさんとの面談で目の冷めるような指導を受けます。

 

それまでの面談と言えば、異動前のように

人格否定に基づくものがほとんどでした

「なんでお前は〜できんのや」「そんなん 新人でもできるで」「言ってる意味が全くわからん」「なんでやりきれへんのや」「ほんま面白くないなお前」

 

しかしT課長はそう言った話は一切しませんでした。

「異動後の評価は良いか悪いかしかない」

「お客様の役に立つ営業になれ 各論に圧倒的に詳しくなれ」

「これだけ世の中に情報が溢れてる。それを伝えるだけでお前の価値は上がるぞ」

「これだけネット化を事業で推進している。今更紙媒体を提案しても評価されないぞ」

「お客様が儲かることだけを考えて提案しろ 売れなくて良いから」

それまでの精神論一辺倒のマネジメントから客観的で具体的で納得感のあるアドバイスになりました。

この時言われたことは当たり前の事かもしれません。

しかしながらそれまで私はずっと否定され続けてきました。

先輩からもらう ふわっとしたアドバイスにも真面目に取り組んだつもりです。

でも全く成果は上がりませんでした。

自分に営業なんて向いてないと何度思った事でしょう。

でもこのアドバイスを聞けば、私は何か開けると思いました。

このアドバイスを愚直にやろう!素直にそう思えました。

 

「今から俺はお客様の売上向上だけを考える」

「ネットについては圧倒的に詳しくなる」

「本を読んでどんどん情報収集する」

社会人を振り返って 12

<初日>

 

初日の朝会はなかなかにシビアなものでした。

当時20名くらいいるメンバーが、その日の行動予定、昨日のトピックスを発表

するのですが如何せん雰囲気が悪い。

 

メンバーが情報を発信しているにも関わらず

下を向き、相槌もなければ目を合わせようともしない。

「一体なにが起こってるんだこの組織は」と不安になりました。

私以外にもう1人転勤者がいたので最後に紹介をしてもらいましたが

あまり歓迎ムードはなく奇妙な朝会は終わりました。

 

席に座ってもそんなに話しかけられる訳ではなく

すぐに引き継ぎの打ち合わせ等に入りました。

引き継ぎ程度しか会話もなかったのでそれでもありがたかったことを覚えています。

 

引き継ぎの中で色々話を聞かれました。

私が異動前にいたグループは表彰者が多く、営業部の中でも優秀なグループでした。

そのため、当時業績が芳しくなかったそのグループからはどんな奴が来るのだという

目で見られてようです。

そして同期のYからも引き継ぎがあったのですがその際に

大変なグループの状況を色々と教えてもらいました。

 

過去にメンバーに不正があり課長が降格になったこと。

グループを取り巻く不信感。

異様に厳しい庶務さんに対してみんな顔色を伺っていること。

過去に転勤してきた方があっという間に別事業部に異動となったこと。

 

私はその時正直に思いました。

「やばい所にきてしまった。俺も半年後にはクビか」

 

ただし少し光もありました。

お客様を引き継ぐ際前任者の営業のレベルが高かったことです。

お客様との関係性や、提案内容。

それは以前いたグループにはない新鮮なものでした。

後になると分かるのですが

それ以前よりも定量的な提案が求められるマーケットとなっていました。

 

あっという間に1日が終わりました。

その日に早速歓迎会ということもなく、私は1人ひっそりとホテルに戻りました。

社会人を振り返って 11

<赴任>

私は新たる土地に降り立ちました。

 

その日テレビをつけると丁度スポーツニュースで野茂英雄が特集されていました。

その頃すでに野茂は引退してましたが

野茂がメジャーに調整したのは26歳になる年だと知り驚愕しました。

同じ26歳でも野茂は世界に挑戦。

自分なんて全く売れない営業マンで、入社3年で左遷。

同期は大きなプロジェクトもやってるのに。。。。

そんな悔しい思いを抱きました。

でも僕ができることは一つやるしかない。

既に心は背水の陣を敷いていました。

 

しかし私には一つ希望がありました。

赴任先の課長から「お前には大切なところやってもらうと思ってる」と

連絡をもらっており、多店舗展開をしている会社を担当されてもらうことが決まっていたのです。

それまで小さい会社ばかりだったので売れないと思っていた私には

少し光が見えていた気がしました。

 

明日からは新しい環境だ。

ここから俺は頑張るんだ。

そんな気持ちを思いながらホテルで床に着いたことを覚えています。 

 

社会人を振り返って 10

<初めての異動>

 

「内示の電話です。10月からーーに言ってもらいます。君は環境を変えないとダメだ。
 次行く環境は今見たいに優しくない、Yという同期が頑張ってるから一緒に
 引っ張ってほしい。
 どうだ?この異動を受けてどう思う?」

  

 「前向きです。絶対頑張ります」

  

 「頑張るんじゃなくて結果出せよ。
  もし次いってもダメだったら本気で退職マネジメントするからな」

 

 これが私の初めての内示でした。

 今思うと本当に恐ろしい世界だったと思います笑

 

 私は当時いた営業所から西の中国地方のある都市に異動となりました。

 西に行くのって左遷だよなぁ と思った記憶があります。

 

 わかりやすく落ち込んでいた私に対して

 仲の良いM先輩は飲みに誘ってくれました。

 後日話を聞くと「お前の落ち込みようからすぐわかったよ」と話してくれました。

 本当に一緒に働く人には恵まれたなと思いました。

 

 こんな私ですが、盛大な送別会を開いていただき異動することになりました。

 色々なメッセージをもらったのですが

 「できない子ほど可愛い 本当に可愛かった」みたいなメッセージをもらった時は

 本当に恥ずかしく情けない気持ちでいっぱいでした。

 

 また人に恵まれたエピソードを一つ
 M先輩の同期でT先輩という方がいました。

 なかなか苦労されているようでしたが私の異動に対して携帯メールで

 メッセージを送ってくれました。

 小さな町のバーでM先輩が読み上げてくれた事は本当に嬉しかった事を覚えていま す。

 

 初めての異動で私は新しい場所に旅立つことになりました。

 新幹線で初めて降り立つその土地は、まだよそ行きの顔で僕の前に姿を現しました。

 

社会人を振り返って 9

<スランプ>

表彰はされたものの評価の全く上がらない私。

2年目に入ると一体どんな事が起こったのか。。。。

 

一通り営業をこなせるようになったと思うとそこは転落の始まりでした。

当時の営業部の目標はグループで昨年対比110%の目標が降りてくると

みんな110%の目標が割り当てられました。

これ一見平等なように見えて全然平等ではないんですよ。

儲かってるクライアントもいればそうでないクライアントもいる

その中で一律の目標だから堪えました。

 

さらに前四半期に大きな受注があり

それが落ちていたりするともう大変。

すごく頑張ってもらった受注のさらに上を行かないといけないのです。

前年に大量の新規受注をあげていた私はもう大変でした。

なぜなら、ご発注いただいたクライアントさんの広告になかなか反響が入らず

単発の受注に終わる事が多かったからです。

ただでさえ落ちていくクライアント、そこからさらに盛り返さなければいけない。

そんな中でスタートしたのが2年目でした。

 

実はこの頃 環境の変化が顕著になっていました。

当時メインだったフリーペーパーの効果が薄れ

だんだんとWEB媒体経由の反響が増えていったのです。

もちろんそれに合わせて営業も変化させなければいけないのですが

そういう頭はありませんでした。

 

ただ今までと同じ事を、同じように繰り返す。

一生懸命やっていはいるものの、成果には繋がらない。

さぼっていた訳ではありません。

人一倍一生懸命やっていました。それでも成果は上がりませんでした。

 

今だからこそわかりますが

私はこの頃顧客のニーズというものを全く理解しておりませんでした。

またそのニーズが日々変わることを。

 

考えてみてください。

不動産会社からしたらどうしても売りたい物件がある。

(売主が離婚して早く売りたい。有力者から専任の物件を預かった。)

そんな時ってたくさん広告宣伝費用をかけても何としても売りたいんです。

これは売買だけでなく、賃貸もそうです。

どうしても家主さんから預かった物件を満室にしたい。

そのためなら多く広告宣伝することもあります。

 

また時期によってニーズは異なります。

例えば賃貸業なら1〜3月で年間の売り上げの半分を稼ぎます。

ここで稼げない年はかなり厳しい状況に陥ります。

 

これから売上を伸ばしていこうという会社。

利益率よりも売上トップラインを上げたいフェーズって絶対あるんですね。

上場企業だったら決算前とか、経営者の代替わりとか、創業直後とか

そういった各会社の状況を踏まえた上で広告の活用方法を提案することが

営業としての仕事です(今ならわかります)。

 

当時の私はそんな事 お構いなしに

他の人が、他の会社に持っていった資料を提案し

全く刺さらない商談を繰り返して行きました。

クライアントを知る事なく、刺さらない提案を繰り返すので

信頼はどんどん失われて行きました。

 

当時の私には、営業って何とか言いくるめる力が強い人、諦めずにクロージングする人のイメージが強くありました。なのでクライアントを知るよりも

自分の言動にばかりフォーカスしていたのだと思います。

 

私の担当会社の売上は下がるばかりです。

焦れば焦るほど仕事はうまく回らず、ミスやクレームも増えて行きました。

そして私はいつのまにか、すっかりできない営業マンとしての烙印を押されていました。

 

当時仕事ができるかっこいい先輩から

「このままだと、ただ回るだけの人で終わるぞ」

「あいつは信頼されているけど、お前は馬鹿にされてるぞ」

など厳しい言葉もいただきました。

 

もちろん、そうしたくしてそうなっている訳ではありません。

自分なりに必死に考えていましたし、できる事はやっていました。

 

その頃です。

上司が変わり、別部署からきたちょっと言葉がぶっきらぼうな上司が来ました。

初めての面談で

「お前の課題は何や? 何やと聞いとるんや」といきなり詰められ

一体どうすればよいのかわかりませんでした。

「課題って言われても。。。。。例えばどんなことが課題ですか?」

「課題って何だと思うんや?」

「................」

「何で黙ってしまうんや お前そういうことがあかんのや」

終始こんなコミュニケーションが始まりました。

 

この上司に目をつけられた私は

毎朝8時から上司と1時間近くマンツーマンで公開処刑されていました。

下手に体育会だった僕は、気合いを見せようとお願いをしに行くも

全く話はかみ合わず、本当に不毛な時間だったと思っております。

 

毎朝毎朝早く起きて、夜は最後までの頃それでも圧倒的に売れない。

 

A部長から改善計画の報告を求められ1.2回の報告で終わり激怒され。

「お前は約束も守れないのか、次来るまでに改善を考えられない時は自分がどうなるか考えておけ」と完全に今ならパワハラになるような指摘をいただきました。

2009年頃はパワハラではないんですね笑

メールにおいても

「君はいつもこうやりますという決意はしてくれる。でも結果が全くない。

 いつまでも期待するほど俺は甘くないぞ」

本当に苦しい時代でした。しかしながら私は自分ができないからこういう事を言われてるかを痛いほど痛感していました。

だから本当に藁にもすがる思いで、上司のアドバイス通りに動こうとしていました。

しかしながら全く好転の気配はありませんでした。

 

周りの私を見る目は日に日に憐れみの目に変わって行きました。

今なら自信を持って言える。あのクライアント群だと売れない!笑

当時はそんな事を言えるはずもなく、また必要以上に自分でも自分を追い詰めていく日々でした。

営業の間に本屋に駆け込み、ビジネス本を見て気合いを入れる。

当時 野村證券の役員だった方のガチムチな本や ワタミの創業者の渡邊美樹さんの本

など ちょっと今の時代とは隔世の感のある本を勧められておりました。

「きっと 俺がダメだからダメなんだ。。。。。」

 

 この年はリーマンショックが市況に影響を及ぼしていた年で

製造業の町であった私の担当エリアは壊滅。

毎日のように退職メールが飛び交う日でした。

ただただ会社の看板からプルデンシャル生命に誘われ面接を受けたことや

リクナビを見ても 良い求人ないなぁと思いかけていました。

 

夜寝る前には ベルギーマッシュポテトとビールを欠かさないようになり

みるみる太って行きました。

そんな時も友人は優しく、私のために部屋でギターを弾いてくれたり

仕事の悩みを話すと、「まだ辞めない方が良い、だってそれだけ真剣に考えてるじゃん」と色々なアドバイスをくれたり

上司から言われた暴言をそのまま伝えると「そんな事大企業が言っていい訳ないだろ」と真剣に怒ってくれました。

私ももしいざとなったらと思い、精神科で診断書を書いてもらい

本当に無理になったら刺し違えようと思っていました。

 

それくらい当時は追い詰められていました。

 

なんとか頑張って新規に振り切って表彰を獲得するも

その時のスピーチがダメだと本気でA部長から怒られる始末。。。

 

もうにっちもさっちもいかない。

どうすれば良いかわからない。

 

そんな時に私は異動となりました。

 

 

 

 

 

社会人生活を振り返って 8

<新規表彰>

そんな感動的な受注もありながら僕は4半期で14社の受注をあげ

見事に新規王となる事ができ表彰を貰うことができました。

宣言したものを達成することはとても嬉しくありました。

 

初表彰を得たものの、それほど周囲からの評価は上がりませんでした。

私の数字が読みにくいこと。

既存のクライアントさんからのアップセルができないこと。

原稿ミスや、クライアントさんからのお叱りが多いこと。

先輩とのコミュニケーションが要領を得ないこと。

 

私は新規はあげられるけれども

既存のクライアントに提案できていないという評価でした。

 

確かにその通りで、新規で掲載していただいたクライアントさんも

なかなかリピートをすることができずお試しでやってもらった後にどんどん

掲載がなくなっていってしまいました。

 

「この会社いつ頃結論出るの?」

「わかりません」

「この会社後いくら積み上がるの?」

「わかりません」

「この会社の課題は?」

「わかりません」

毎日こんな会話が繰り返されておりました。

当時の僕は 嘘を言うのは良くないと思い正直に伝えていたつもりだったのです笑

報告は正確でないといけないという事を変に解釈していました。

 

でも実際にその通りで

現在取引いただいているクライアントさんがどうすればさらに

ご発注していただけるか全くわかりませんでした。

そもそも、掲載いただいているもののどの程度の反響があるかを確認する

仕組みすらなかったのです。

なんとなくの効果を元に提案なんてできない。

当時はそんな風に思っていました。

 

ロープレで習ったように

「もっと反響欲しいじゃないですか!」といったところで

「いやうちはそんなに要らないんだよ。」と返されてしまうと、

もうどうしようもない。そんな状態でした。

 

提案にするにあたってのデータもないので

提案するにはひたすらに原稿の提案。

ここは人気の小学校区だからその事伝えましよう。リフォームしているから

内観の写真撮りましょう。対角線に撮影するとリビングが広く見えます。といった

事ばかりお話しをしていました。

これまた、超労力がかかる仕事になります。

当時の僕は時間をかけないと成果が出ないというまるで肉体労働のような仕事をしておりました。

 

さらに折角受注した原稿も数が多すぎて、誤った内容で掲載をしてしまったりでサービス対応となる事もありました。今はクライアントに入稿してもらうのですが当時は手間受けが価値だと思っていたのでむやみに代行をいていました。

その結果忙しくなり、貧乏暇なし。手間ばかり増えて成果が上がらないそんな寂しい営業マンでした。

 

先輩とのコミュニケーションも社会人らしいコミュニケーションができず

上司  「お腹空かない?(みんなでご飯食べに行こうよ)」

僕   「今日帰りがけにお菓子食べたので減ってないです」

と誘いを断っていたり。

 

先輩  「もっとこういう事したら良いんじゃない?(傷つかないように伝えよう)」

僕   「んー僕はこう思います」

と提案を却下

 

今でも少しそういう癖は残っているのですが、行間を読もうとする事がありませんでした。変に行間読まずに事実を伝えればよいのに。。。。そんな事を思い憤っていました(恥)。

「こんな時相手はどう思う?」と聞かれた時にほぼ的を得た答えができませんでした。

社会人としての常識が自分の頭の中になく、相手がどう思うかを全く想像できておりませんでした。その言葉や行為が善意なのか悪意なのか、全く意図がわかりませんでした。親切で手を差し伸べてくれる人に対して失礼な事を言った事もたくさんあります。

どうやってこの事を克服していったかはまた別の時に語りたいと思います。