社会人を振り返って 9

<スランプ>

表彰はされたものの評価の全く上がらない私。

2年目に入ると一体どんな事が起こったのか。。。。

 

一通り営業をこなせるようになったと思うとそこは転落の始まりでした。

当時の営業部の目標はグループで昨年対比110%の目標が降りてくると

みんな110%の目標が割り当てられました。

これ一見平等なように見えて全然平等ではないんですよ。

儲かってるクライアントもいればそうでないクライアントもいる

その中で一律の目標だから堪えました。

 

さらに前四半期に大きな受注があり

それが落ちていたりするともう大変。

すごく頑張ってもらった受注のさらに上を行かないといけないのです。

前年に大量の新規受注をあげていた私はもう大変でした。

なぜなら、ご発注いただいたクライアントさんの広告になかなか反響が入らず

単発の受注に終わる事が多かったからです。

ただでさえ落ちていくクライアント、そこからさらに盛り返さなければいけない。

そんな中でスタートしたのが2年目でした。

 

実はこの頃 環境の変化が顕著になっていました。

当時メインだったフリーペーパーの効果が薄れ

だんだんとWEB媒体経由の反響が増えていったのです。

もちろんそれに合わせて営業も変化させなければいけないのですが

そういう頭はありませんでした。

 

ただ今までと同じ事を、同じように繰り返す。

一生懸命やっていはいるものの、成果には繋がらない。

さぼっていた訳ではありません。

人一倍一生懸命やっていました。それでも成果は上がりませんでした。

 

今だからこそわかりますが

私はこの頃顧客のニーズというものを全く理解しておりませんでした。

またそのニーズが日々変わることを。

 

考えてみてください。

不動産会社からしたらどうしても売りたい物件がある。

(売主が離婚して早く売りたい。有力者から専任の物件を預かった。)

そんな時ってたくさん広告宣伝費用をかけても何としても売りたいんです。

これは売買だけでなく、賃貸もそうです。

どうしても家主さんから預かった物件を満室にしたい。

そのためなら多く広告宣伝することもあります。

 

また時期によってニーズは異なります。

例えば賃貸業なら1〜3月で年間の売り上げの半分を稼ぎます。

ここで稼げない年はかなり厳しい状況に陥ります。

 

これから売上を伸ばしていこうという会社。

利益率よりも売上トップラインを上げたいフェーズって絶対あるんですね。

上場企業だったら決算前とか、経営者の代替わりとか、創業直後とか

そういった各会社の状況を踏まえた上で広告の活用方法を提案することが

営業としての仕事です(今ならわかります)。

 

当時の私はそんな事 お構いなしに

他の人が、他の会社に持っていった資料を提案し

全く刺さらない商談を繰り返して行きました。

クライアントを知る事なく、刺さらない提案を繰り返すので

信頼はどんどん失われて行きました。

 

当時の私には、営業って何とか言いくるめる力が強い人、諦めずにクロージングする人のイメージが強くありました。なのでクライアントを知るよりも

自分の言動にばかりフォーカスしていたのだと思います。

 

私の担当会社の売上は下がるばかりです。

焦れば焦るほど仕事はうまく回らず、ミスやクレームも増えて行きました。

そして私はいつのまにか、すっかりできない営業マンとしての烙印を押されていました。

 

当時仕事ができるかっこいい先輩から

「このままだと、ただ回るだけの人で終わるぞ」

「あいつは信頼されているけど、お前は馬鹿にされてるぞ」

など厳しい言葉もいただきました。

 

もちろん、そうしたくしてそうなっている訳ではありません。

自分なりに必死に考えていましたし、できる事はやっていました。

 

その頃です。

上司が変わり、別部署からきたちょっと言葉がぶっきらぼうな上司が来ました。

初めての面談で

「お前の課題は何や? 何やと聞いとるんや」といきなり詰められ

一体どうすればよいのかわかりませんでした。

「課題って言われても。。。。。例えばどんなことが課題ですか?」

「課題って何だと思うんや?」

「................」

「何で黙ってしまうんや お前そういうことがあかんのや」

終始こんなコミュニケーションが始まりました。

 

この上司に目をつけられた私は

毎朝8時から上司と1時間近くマンツーマンで公開処刑されていました。

下手に体育会だった僕は、気合いを見せようとお願いをしに行くも

全く話はかみ合わず、本当に不毛な時間だったと思っております。

 

毎朝毎朝早く起きて、夜は最後までの頃それでも圧倒的に売れない。

 

A部長から改善計画の報告を求められ1.2回の報告で終わり激怒され。

「お前は約束も守れないのか、次来るまでに改善を考えられない時は自分がどうなるか考えておけ」と完全に今ならパワハラになるような指摘をいただきました。

2009年頃はパワハラではないんですね笑

メールにおいても

「君はいつもこうやりますという決意はしてくれる。でも結果が全くない。

 いつまでも期待するほど俺は甘くないぞ」

本当に苦しい時代でした。しかしながら私は自分ができないからこういう事を言われてるかを痛いほど痛感していました。

だから本当に藁にもすがる思いで、上司のアドバイス通りに動こうとしていました。

しかしながら全く好転の気配はありませんでした。

 

周りの私を見る目は日に日に憐れみの目に変わって行きました。

今なら自信を持って言える。あのクライアント群だと売れない!笑

当時はそんな事を言えるはずもなく、また必要以上に自分でも自分を追い詰めていく日々でした。

営業の間に本屋に駆け込み、ビジネス本を見て気合いを入れる。

当時 野村證券の役員だった方のガチムチな本や ワタミの創業者の渡邊美樹さんの本

など ちょっと今の時代とは隔世の感のある本を勧められておりました。

「きっと 俺がダメだからダメなんだ。。。。。」

 

 この年はリーマンショックが市況に影響を及ぼしていた年で

製造業の町であった私の担当エリアは壊滅。

毎日のように退職メールが飛び交う日でした。

ただただ会社の看板からプルデンシャル生命に誘われ面接を受けたことや

リクナビを見ても 良い求人ないなぁと思いかけていました。

 

夜寝る前には ベルギーマッシュポテトとビールを欠かさないようになり

みるみる太って行きました。

そんな時も友人は優しく、私のために部屋でギターを弾いてくれたり

仕事の悩みを話すと、「まだ辞めない方が良い、だってそれだけ真剣に考えてるじゃん」と色々なアドバイスをくれたり

上司から言われた暴言をそのまま伝えると「そんな事大企業が言っていい訳ないだろ」と真剣に怒ってくれました。

私ももしいざとなったらと思い、精神科で診断書を書いてもらい

本当に無理になったら刺し違えようと思っていました。

 

それくらい当時は追い詰められていました。

 

なんとか頑張って新規に振り切って表彰を獲得するも

その時のスピーチがダメだと本気でA部長から怒られる始末。。。

 

もうにっちもさっちもいかない。

どうすれば良いかわからない。

 

そんな時に私は異動となりました。