社会人生活を振り返って 7

<忘れられない受注>

先輩より引き継いだクライアント様で
S社という会社がありました。

 

常にチラシに物件を載せている状態でしたが

ずっと、取引ができていない状況でした。

エピソードを聞くと、過去に担当だった営業マンがやたら多く訪問を繰り返し

それによって業務が妨害され嫌な思いをしたとのこと。

なかなか取引ができずやきもきしていたとの事でした。

 

当時の営業会議は他媒体に掲載されている物件などを中心に

うちの媒体にも掲載できないのかといった会議がほとんどでした。

このS社は毎回話題に上がる取引をしたい会社だったのです。

 

私が担当するようになってからも けんもほろろ

受付の女性の奥で社長がいつも新聞を読んだり電話をしていたりしました。

受付の女性に 社長いらっしゃいますかとお話しし 

社長を取り繋いでもらおうとしても

「社長は今忙しいとの事です」*見えてるのに!

ずっと文字通り商談の席にもつかせてもらえませんでした。

 

それでも週に1度は顔を出すようにしていました。

10月から週に1度なので年末までに12〜13回程度顔を出していました。

もちろん、最初は媒体の話などをしようとしていましたが

全然取り合ってくれません。

そういうことをわかっていた私は、だんだんと作戦を変更。

新聞記事でも何でもお役に立ちそうなニュースなどを持っていくことにしました。

日経新聞をコピーして配り歩く。

そんな中で顔は覚えてもらえるようになりましたが全然仕事の話にはつながりません。

 

そんな日が3ヶ月くらい続いたある日。

いつものようにご挨拶に行くと(当然飛び込みです)

何やら社長が新しい物件を見ながら悩んでいそうでした。

まさに受注のチャンスかと思われる場面でした。

その頃にはすでに受付の女性とは仲良くなっていて

応援される関係性になっていました。

 

「こんにちわ」と会話を切り出した後に社長が少しこっちを見てきます。

私は担当の女性に「新しい物件などでましたか?」とヒアリングをします。

すると担当の女性が「何か新しい物件預かったと聞いてますよ」と言いながら

社長の方を見てくれます。

ここで私はチャンスを逃さずにすかさず。。。。。

といった行動はしませんでした。

「そうですか、早く決めたいですね。もし必要であればお声がけください。

 私はお2人が元気そうな顔を見にきたのでこれで失礼します」

そう言って事務所を後にしました。

社長も受付の女性も少し驚いた顔をしていました。

 

事務所をでて数分後 受付の女性から電話がかかってきました。

少し興奮した声で

「すぐ事務所に来てください!社長が呼んでます!!」

僕も急いで事務所に戻ると社長が最前線に出てきてこう言ってくれました。

 

「あんな営業チャンスなのに、あっさり引き下がるなんて。あんたは筋が通ってるな。

 立派な人になるよ。今回あんたのところに掲載したい。」

ついに取引が始まる事となりました。

 

商品ではなく僕自身を買ってもらったそんなエピソードです。 

社会人生活を振り返って 6

<新規表彰>

当時営業のステータスとして新規案件の受注数が評価のポイントとなっていました。

まだ立ち上げ4年目頃の営業組織

安定稼働させるためにクライアント数が大切だったのでしょう。

 

もちろんMVPなどの表彰もありましたが

表彰内容を聞いてもよくわからない。

何がすごいのか、なぜ表彰されているのかわからないものを目指すのも辛い。

では簡単にイメージの湧く新規表彰を狙いました。

 

 

仕事後の飲み会で先輩から

「とりあえず宣言しちゃいなよ」とそそのかされ

「新規表彰」とりますと10月頃に宣言させられました。

言っちゃった以上やるしかないと思った僕がとった戦略はただ一つ。

 

「圧倒的訪問量」でした。

1日20件をMSUTに訪問を繰り返しました。

そして前任が厳しいと言った顧客もくまなく訪問しました。

今でも覚えているのは農家と不動産を兼業でやっている会社があり

電柱広告を頼りに事務所に行くとまさかの納屋。。。

そこでステテコ姿の社長(というより農家のおじさん)が寝ながら

間取り図と必要情報を手書きで書きそれを元に原稿を作りました。

まだ穏やかな時代だっというか何というか。。。

 

ただ僕の戦略は当たりました。

先輩方が営業対象と考えていないようなクライアントは

営業慣れしていないので、営業に行くと可愛がってもらえます。

僕はそこで 自己紹介ツールを元に自分を知ってもらい。

物件資料をもらっては実際に現地を見に行きあて原稿を作るという

超愚直な営業スタイルを構築。

順調に受注を重ねていきました。

 

不動産の物件資料はまずその業者がお客様用に作ります。

そしてそれをチラシや安い広告媒体、また業者への広告として載せます。

この物件資料が出た時がチャンス。

早く買い主を見つけたい不動産業者に対して

先に原稿を作成して、もっと早く決めるためにうちの媒体にも出しましょう。

という営業をシンプルに実施するのです。

原稿を見たクライアントさんは、掲載のイメージが湧くのでしょう。

じゃあ試しにやってみようかな。。

となったら受注です。

どうですか?こんなに愚直なことをやっていたのです。

 

自転車を20kmも漕いできた新卒社員。

「大学出てまでなんでそんな仕事しているの?」と言われたこともありましたが

でもその頃は

「ここでできなきゃどこいってもダメだ」といった脅迫観念が僕を走らせていました。

後少しではありますが

努力の成果が目に見えてきたことに微かな希望を感じていました。

今はこれをやるしかないと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

社会人生活を振り返って 5

<ただ訪問するだけの人>

ニーズを理解していない訪問マシーンとなった私は

その努力に対して全く成果が上がりません。

 

先輩方が楽しそうにしているクライアントさんの話も

僕にとっては全く楽しくありません。

そもそも仲の良いクライアントさんもいませんでしたし

訪問しても迷惑がられれて精神修行のようなものでした。

 

特に新しい商品が出るわけでもなく

データを提供できるわけでもなく

ただただ僕は訪問するだけでした。

 

僕「こんにちわ〜いつもお世話になってます」

お客様「今 広告出す物件ないよ〜」

僕「またお願いしまーす」

以上終了

 

とにかく訪問量は圧倒的だった僕は

どんどん痩せていきました。

そりゃそうです。毎日30kmも自転車漕いでいたら誰だって痩せます。

いつの間にか良い体になってました(笑)

でも違う。そんな目的でこの会社に入ったんじゃないんだ!

 

そんな時僕はできる子はやろうと

まずは本をたくさん読みました。

 

サイバーエージェントの藤田社長や

ワタミの渡邉 美樹社長

マネーの虎系の成り上がった方の本を読むと

だいたいが営業会社でトップになったエピソードから始まるんです。

「人が50件訪問するなら自分は100件」

「寝ないで営業していた」

夜討ち朝駆けをした」

などなどいわゆる武勇伝ばかりです。

 

先輩方から色々アドバイスをもらいます。

「なんか暗いよ〜」

「もっと楽しまないと〜」

「自信なさげだよね」

「お客さんの事全然思ってないよね」

「本気で売ろうと思ってないでしょ」

 

自分が売れないのは

「明るくないからだ」

「面白くないからだ」

「本気じゃないからだ」

「お客さんのこと考えていないからだ」

「自信がないように見えるからだ」

 

スーパーいけてない営業マンの完成です。

 

店舗に伺う前にコンビニで気合いを入れる。

無駄に元気に商談に入る。

お客様の回答に対して、とにかく自信満々に答える。

人が5件まわるなら自分は10件まわる。

 

一見正しそうなのですが、やればやるほど売れなくなっていきました。

 

験担ぎもしました。

商談前には焼肉を食べて気合いを入れる。

*いつの日からか匂いがつくものを商談前に食べるのはNGだと気がつきました。

 

先輩の言う事も素直に取り入れたつもりです。

でもどこか違ったのでしょう。

なかなか先輩のようには売れず。その差はとても遠いものに見えました。

 

教育担当の先輩を始め

色々な方が僕を飲みに誘ってくださり励ましてくれたり、慰めてくれたり

様々気を使っていただきました。

 

飲みに誘ってもらい。

「◯◯って プライド高いよね〜」と言われると

「具体的にどんなとこですか?教えてください!」

みたいなことを言って気まずい空気が流れ先輩方を困らせたりしていました。

 

でも全然売れる兆しがありませんでした。

「こんなに頑張ってるのに。。。。なんで。。。」

「自分は社会人として適合しないんじゃないか」

「うちの家系で営業で成功している人なんていないって」

「やっぱりコミュニケーション能力ないと無理なのかな」

「そもそも何が良くて何がダメかわからない」

 

どこの組織もそうなのですが、若手を育成するスキルが当時はなかったと感じます。

そんな中で一生懸命指導をしていただいたのですが

基本的には人間性的な部分の指摘にたどりつき、だからお前は、、、

と落ち着くことが常でした。

 

でもそんな私、実は新人で一番最初に表彰をいただいたのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

社会人生活を振り返って 4

<バッドスパイラル>

当初私が担当していた企業は人口100万に満たないある地方都市でした。

そこで私は農家上がりで不動産業をやっている企業が多いエリアの担当となりました。

当時はまさかの自転車営業。

1日多い時で60kmも自転車をこぎ半年で8kg程健康的に痩せることができました。

 

当時はKPIに訪問件数、というものが置かれており

新人は売り上げ以外にもこの訪問件数の担保を求められておりました。

とにかく頑張らねばと思ってた私は愚直に1日20件の訪問を繰り返しました。

 

担当顧客が20法人程度、エリアに存在する顧客が100程度。

 

*私たちは当時網羅率という指標を追いかけており、エリアにおける顧客の●%を

網羅するぞという目標がありました。

とはいえ、これは宅建免許を元に算出される数字です。

業界に詳しい方はご存知かもしれませんが、宅建免許があっても

必ずtoCの不動産業を営んでいるとは限らないのです。

 

よく考えてみてください。

1日20社訪問を愚直に実施するとなんと5日で担当エリアの全顧客の網羅が終わってしまうのです。しかし、回れども回れども受注にならない。

今から考えると当たり前なのですが、不動産業とはいえ毎月20件も決めなければいけない賃貸業と異なり私の担当エリアは売買がメイン。

例えば1500万円の物件を仲介すると売主から3% 45万円 買主から45万円もらうことができます。すると合計90万円の売り上げをあげられることができます。

不動産業はほぼ原価はかからないのでそれが丸々もうけになるとすると

なんと月1件契約を決めるだけで年商1000万円を越えることができるのです。

そして、どんな時に案件が発生するかというとだいたい相続、転勤などのことが多いです。そういった時に一番の相談相手になれることが地方の不動産業における必勝パターンでした。

そして、その相談相手になることが不動産業者にとっての最も大切なことです。

農家が多い地域では昔ながらの地主さんが不動産業を営んでいることが多いのは

昔から地域で信頼を勝ち得て、地域の相談役担っていることが多かったからです。

まさに人間と人間の生々しい感情が絡むのが不動産ビジネスでした。

 

そんな事も知らずに、研修で学んだロープレとトークを徹底的にやりこむ。

成果が出ないのは自分が至らないからだと思うように指導されるそんな営業を私はしておりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

社会人生活を振り返って 3

<同行での疑問>

先輩方に同行していくにあたり疑問が出てきました。

どういったことかというと

「全然ロープレマラソントーク使ってない」といったことでした。

それもそのはず

当時の顧客構成でいうと30社程度を先輩方が担当。

隔週発行される媒体で4半期に6号が発行される媒体でした。

もっとも新規顧客をあげる営業でも10〜15程度です。

対応する顧客の80%以上が既存顧客でした。

 

導入を決めているお客様の場合

媒体に掲載する意味をある程度理解した上で今回は掲載するしないといったことを

他の媒体(チラシ等)との兼ね合いから考えているのです。

そんな顧客相手に「どうです?うちの媒体こんなに素晴らしいんですよ!」と言ったところで顧客からしたら、「そんなの知ってるよ」と言ったところでしょう。

 

そうなんです。

そんなこと新卒の私でも十分にわかっていたのです。

しかしながら、朝夕実施されるロープレは新規ロープレ。

先輩方に質問をしても「君はどうしたいの?」の言葉ばかり。。。

「どうしたいかわからないから聞いてるんです」と言うと

「ちゃんと顧客の事考えてから相談にこい」と二重で怒られる始末。

挙句の果てに「素直でない」等と言われて、先輩から言われたように

新規のロープレをする始末。

今から振り返っても素直すぎるが故に、こんな対応をしてしまっていたのだと思います。(他責と言われてしまう笑)

 

 

社会人生活を振り返って2

<初めての上司>

2週間の研修を経てついに配属となりました。

最初のS上司は爽やかナイスガイ 湘南在住で浅黒く日焼けしたかっこいい方でした。

全体の雰囲気をよくする事が得意な人たらしでした。

 

支社に配属されたのは男子2人 女子2人

当時から(良い意味で)男子と女子の扱いは異なっており

男子には笑いながら愛のある指導

女子には基本的に褒めるというスタンスでした。

 

圧倒的に驚いたのは、女子に対するコミュニケーションでした。

学生上がりの私からすると

あからさまに褒めるといったコミュニケーションが少なかったのですが

Sさんは 〇〇はこんな仕事が良いよね〜 こだわりを感じるね〜
     そういうの分かるわ〜 といった共感の鬼でした。

そして、それに対応してどんどん本音を話していく人をみて

少し(?)ひねくれていた私は、

あぁこんなコミュニケーションが有効なんだと驚きました。

 

OJT

そんな上司の元始まったOJTでしたが最初は先輩への同行営業でした。

当時、支社から自転車でクライアントへ向かっていたのでその先輩と一緒に同行。

業務の終わり頃の時間には同期と一緒に先輩のこんな事がすごいといった振り返りを

行なっておりました。

支社の先輩方は本当に良い方ばかりで、営業ルートの美味しいランチなどを紹介してくれたり、とても仲良くしてくれました。

先輩方のキャリアは様々で新卒はS課長と入社3年目の女性W係長のみ。

他の方は20代半ば〜30代前半の方のとても若い組織でした。

前職は法律事務所、サーフショップ、化粧品販売、人材派遣、料理人、

トラックドライバーなど多岐に亘っておりました。

そんな方々をあっという間に広告営業として育てるこの会社はやはりすごいと思いました。

 

さて様々な先輩と同行させていただくにあたり気づいた事がありました。

*当時は何か企画書を独自に作る訳ではなく、同じ営業ツールで画一的に営業をしていたのでそれぞれのコミュニケーションスタイルがわかりやすく出ていました 

 

1,聞くに徹するタイプ

2,提案し続けるタイプ

3,盛り上げるタイプ

4,業務代行するタイプ

 

 タイプ1の人

>>世間話しから入っていきとにかくヒアリングに徹する。

その中で出たニーズに対して商品をやりましょうという人。

 

タイプ2の人

>>世間話というよりも業務の話しを重視。これやるべきですよねと提案をする。

場合によってはクライアントに意見する事もある

 

タイプ3の人

>>クライアントを褒めたり、面白い事をいったりして場を盛り上げる人。

感情の訴えかけ喜ばせる事が得意

 

タイプ4の人

>>業務代行の人

例えばクライアントが欲しがってる情報をお伝えしたり

クライアントにPCの操作を教えたりと本業以外でもGIVEをする人

 

だいたいの人がこの4種類に分類することができたと思います。

売れている営業がどんな人かというと

1+2とか複数のタイプを持っている人は売れていたと記憶しております。

 

また全ての人がこの要素の前提として「可愛げ」という要素を持っていました。

不思議なことに、いわゆる「嫌な奴」という人種が社内にはおらず

気持ちの良い人ばかりでした。

 

いわゆるロープレマラソンでは3のタイプを量産しようとしていた気がします。

また同行したり、一緒に食事をしたりするとどうしても3のタイプの方の存在感が

大きくなるので、苦しい時はあぁ あの人はこれだけ面白いから売れるんだ

それに比べて自分は。。。。。と思うことがありました。

これは少し経験を積めば違うとわかるのですが、若い私はそんな可愛い悩みを持っておりました。

社会人生活を振り返って1

私2008年の4月より新卒にて某社に勤務をはじめました。

右も左もわからぬ学生が

11年間に地方都市4拠点 東京を経験し、一人前の社会人になるまでの記録を

ここに公開させてもらいたいと思います。

 

<新卒入社>

私が入社した年の前年

サブプライムローンが顕在化していた頃ですがまだ対岸の火事感がありました。

新卒の入社数もなんと800名規模で採用するという

近年稀にみる就活生からすると超売り手市場でした。

その中でなんとか入社した私の苦闘についてお話できればと思います。

 

<配属先>

私が配属された支店は東海地方のある支店

2018年現在すでに、その支店はなくなってしまっているのですが

当時は製造業の活況もあり、賑わっていた支店でした。

私の部署だけで20名程度の人員がおり

支社全体では150名程度の人員がおりました。

特に当時は求人系の部署が活況を呈しておりなんと100名程度

おおよそオフィスビルのワンフロアを占める程度だったかと記憶しております。

支店全体での表彰共有も行われており

そこで発表する先輩方は輝いてみえました。

 

20名程度の私の部署に配属された新卒はなんと4名

この程度の規模に対して4名の配属は異例でした。

2005年(確か)に立ち上がったこの支社は同じ規模の支社の中で業績が好調。

さらに業績を伸ばして行くぞと言う意気込みもあっての配属との事でした。

 

金融や証券ならまだしも、

私が働いている企業は大都市を中心に事業を営んでいたので

地方都市への配属を驚いた事を昨日の事のように覚えております。

 

割と体育会として知られていた会社だったので

どれだけ、内定式などで仲良く迎えられても配属されたら

違った扱いを受けるのだろうなと思いながら入社したものの

とても歓迎されて、親切にしていただいた事を覚えております。

 

<導入研修>

私の入社当初の研修スケジュールはこんな感じでした。

①全社入社式@国技館(今思えばバブリー)

②事業部キックオフ

③マナー研修2日間

④システム 規定 有給 経費 などのインプット研修

⑤ロープレ研修(2週間!)

 

見ていただくとわかるかと思いますが

圧倒的にロープレ研修が長くありました。

これは何かというと新規のお客様に広告の商品をご提案するにあたり

なぜ、自社媒体が優れいているのか、どんなメリットがお客様にとってあるのかを

徹底的にブレストしあいながら、最終的に新規のお客様に提案をするロープレを

実施するものになります。

 

今思うと完全に洗脳教育なのですが

朝9時には会場に集合19時頃まで研修という日が2週間続くという研修でした。

朝から、先輩の見本とお客様への素敵な対応のスタンスをビデオで確認

その後、10人程度のグループに別れて講座を受けるというものでした。

この研修、決して特別な知識がないと提案できない商品ではないのですが

様々な角度から媒体の良さを議論しました。

事務局側の気合の入り方がすごく、毎日講師が変わるのですがその講師が全て

拠点の課長、部長クラスが来ていました。

事務局側では、この研修を煽りに煽り

「最後のロープレ受かったあとは涙する者も出てくる。」

「これが社会人の登竜門だ」

挙句の果てには統括部長(*現社長)を持ち出してスピーチをさせるなど

単純な事を本気で盛り上げると躍起になっていました。

 

真っ白な新人の私たちも絶対大学時代そんな事してなかったような人も

これで壁を破るんだとばかりに、一生懸命取り組んでいた事を思い出します。

それこそ、大学のテニスサークルが「もっとこのサークルよくしようよ」と議論する

ような雰囲気だったと思います。

 

 いったいなぜこのような研修(通称ロープレマラソン)が始まったかというと

私の入社の5年ほど前に生まれた新規事業における営業手法を

絶賛他事業部にも展開中の頃だったからです。

課長陣の中でもこの研修に対しては様々な考えがあったようで

一体感を育むためには良いという方もいれば

顧客同士で課題が異なるのだから、こんな事は無意味だと思っている方もおりました。

私自身が、この研修の最終試験の前日にA部長という方が講師でいらっしゃったのですがその方はあからさまに、この研修に対して納得感を示しておりませんでした。

他の課長が「もっと思いを込めて」とか抽象的な言葉で激励していたのに対して

A部長は「どんな顧客を設定しているの?」など論理的なアドバイスが多く

いろんな方がいるんだなと感じました。

*この当時はまさかA部長が私の恩人になる方とは思っておりませんでした。

 

この研修の中で私は納得しないこともありながらも前向きにみんなで頑張り

無事に合格することができました。

当時の私の考え方としては

ネガティブな反応に対する返しを完璧にすることでした。

例えば価格を提示した際に必ず「高い」と言われることもあると思いますが

その際に、「ただこの状態を実現するために●●円ならば安いですよね」

「契約期間中は内容を毎回精査させていただきます」などのトーク

あらゆる角度から頭に入れ込むことでした。

あくまで、試験の舞台は新規のお客様でしたので商品説明をどれだけ盛り上げてやるかという通称ワクワクロープレがテーマだったかと思います。

合格率は50%程度でしたので、まぁまぁ良いスタートだったのではないかと

思っております。

 

*しかしながらこの研修で得たトークに引っ張られてその後低空飛行が続く事をこの頃は知る余地もありませんでした。